こんな写真×詠んでみた

2013年7月突如出会った新しい芸術表現。 写真と俳句をコラボさせた 「フォト×俳句」 どちらも全くゼロからのスタートです。 作品作成のプロセスや結果を徒然なるままに・・・

2013年11月

母さんが狩人となりでんと立つ       山走子
かあさんがかりゅうどとなりでんとたつ

R0015148

作ったその瞬間は、これは世紀の大傑作だ!などと小躍りして。
その勢いでどこかに投稿しちゃったりして。
後になって読み返すと、これはいったい何のこっちゃ?みたいな。

まいまいクラブ2週連続で沈みました(泣)

やっぱり、上五で「○○が」ってのは良くないんだろうなぁ・・・
って思っていたのだけど、それ以上に着想がどこから来ているのか不明(笑)
迷路をグルグル回って、袋小路で出来上がった一句だな。
迷路の外に出てみると意味不明。

入選している俳句をあちことで読んでいると「の」は多用されているけど。
「が」はほとんど無いかな。「で」は最悪らしい。

男の俳句、女の俳句
藤田 湘子
角川書店
1999-08


「俳句表現の上では、絶対用いてならないとう言葉はないのだが、そして、何をどう使おうとも作者の自由なのだが、この「で」だけはダメだ、と断言しても過言ではない。「で」を消して違う表現を考えることを、私は切にすすめるものである(p108)」

ようするに、散文になってしまうのでダメだと湘子は説いている。
実は韻文と散文の違いというか、テイストの差をイマイチ判ってなかったりする。
まずここをしっかりと理解するところから始めないと俳句はダメなんだろうな。
難しい言葉を使う必要はないんだろうけど、散文はダメだと。

俳句の入り口に辿り着くのに3年くらいかかると何処かで読んだけど。
その意味がだんだん判ってきたような気がする。
たった17音なのだけど、その中で様々な事が展開されているのだ。

漢文とか文語文法とか、旧仮名遣いとか。
覚えた方が良さそうな事は山積み。
まだ始まったばかりだから、急がずじっくりだな。
精進精進






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蓮根掘る腰に二枚のテーピング      山走子
はすねほるこしににまいのてーぴんぐ

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早く「人」になりたい。とか言って「並」の状態を憂いていたのに。
先週、「並」からも外れボツになってしまった俳句ポスト
どうにか「並」に戻って来た(笑)

こうなると、「並」でも価値があるとうか何というか。
せっかく投稿しているので、選ばれてこそだよね(笑)

色々と教科書を読み漁っているわけだけど。
やっぱり、俳句に意味づけを加えるのは良くないらしいってのが解ってきた。
意味づけするのは読者の方って事だな。

類想類句に関しては、古今東西の俳句をくまなく鑑賞する事は不可能なので。
まぁあまりきにせず、せっせと作句するのが良いかな。
どこかに応募して、選ばれなければそれなりって事だしね。

一番良いのは誰かしっかりとした師匠に弟子入りするって事だよな。
師匠選びは悩むところで。
その人の作品を良いなぁって思えなかったら師匠とは呼べないだろうし。

歳時記を読んでいて、良いなぁと思うのは原 石鼎だな。
芭蕉と原 石鼎の句は自分は好きだなぁ。
って、どちらも故人だけど・・・





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街角の角を探して冬散歩     山走子
まちかどのかどをさがしてふゆさんぽ

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冬だろうが夏だろうが、散歩が好きであちこち散歩するのだが。
なんとなく、冬散歩って言葉が良いかと(笑)

こういう俳句が果たして成立するのか否かはともかくとして。
表記も結構迷うものだ。
「街角」が良いのか「町角」がよいのか・・・
前者が都会で後者は田舎?
ちなみに、この写真は東京なので「街角」と表記してみた。

藤田湘子に言わせれば、「表記も表現の一部」だという事で。

男の俳句、女の俳句
藤田 湘子
角川書店
1999-08


「・・・・、表現にもきめ細やかな配慮がなされている。「さびさび」は、漢字で書けば「寂び寂び」であろう、「つけもの」は漬け物、「かみて」は噛みてであるけれど、それらを全部ひらがな書きにした。「表記も表現の一部」と、これも私のいうところだが・・・・(p44)」

漢字で表すかひらがなにするのか、はたまたカタカナにするのか。
かなり意図をもっての表現って事になるのだろう。
「街角」と「町角」もやっぱり微妙に違うんだろうな。
国語事典ではとりあえず、どっちも同じ意味でしか説明されていないから。
作者の思い入れで使い分ければ良いのかな。

そうそう、藤田湘子のこのテキストもかなり参考になるわけで。
しきりにリズムを大事にしろとか、音読しろとか書かれている。
そしてNGは何かと言えば意味づけ。

「俳句に意味をこってり盛ろうとするから、縷々述べたくなる。俳句に意味は要らない。意味は消してリズムを大切にしている詠い方を志している人でないと、こうした俳句は出来ない。読んで楽しい。俳句はただそれだけで十分(p42)」

だそうで。
そうすると、今日の私の俳句はまぁまぁイケてるかな(笑)
もっとも類想の句が山ほどありそうではあるのだが・・・・







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正座して室咲き眺めお茶すする      山走子
せいざしてむろざきながめおちゃすする

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「室咲き」という兼題で作句中。
これもまた初めて聞いた言葉(笑)
与えられた兼題ってのはトレーニングにはなるな。

一日中、室咲き室咲き室咲き室咲き室咲き・・・・と、考えながら過ごしたりして。
五七五という言葉のフレームがあるので、はまる言葉がどこからともなく現れる。
まぁ、それが俳句表現として優れているのかそうでないのかは判らないけど(笑)

坪内稔典氏の俳句に
★春風に母死ぬ龍角散が散り★
というのがある。これに関して。



「この句は、手遅れの癌で亡くなった母に付き添った体験が元になっており、龍角散を愛用していたのは父だが、そんな事実は作品そのものにはかかわりがない。実際のところ、作者の私にも、母の死と龍角散をなぜ取り合わせたのかはわからない。ふと。その二つを取り合わせて一句ができあがったのだ(p89)」

と記述されている。
どこから現れた言葉かは自分でも判らないけど、とにかく五七五に当てはまったって事。
この本に書かれている内容というか、坪内さんがあちこちで書かれている事は興味深い。
というか勇気づけられる(笑)

正岡子規が、俳句が作者の感情に根ざした美の表現であるという観点に立って月並み俳句をばっさりと切り捨てて現在に至っている。
なので、言葉遊びとか、格言みたいな十七音はNGみたいな感じもある。

とはいえ、私は結構、言葉遊びも面白いし好きなんだよねぇ。
これに関して坪内氏は
「言葉遊びにおける言葉くらい、言葉が生き生きとしている状態はほかにはないのではないだろうか。そこではリズム、響き、意味の多義性など、言葉の持つ様々な要素が相互に関わり合ってうごめいている。(中略)言葉がたんに伝達の道具や知識としてではなく、生き物として呼吸しているのが言葉遊びの言葉だと思われる(p51)」

花鳥諷詠のサイズの大きな俳句を作りたいという思いと、ちょいと機知に富んだ言葉遊びも面白くて良いなと常々思うのであった。

[俳句解説]
ほとんど意味をなしていないのだが、なんとなく「室咲き」を考えてたら繋がった一句。
しかし、正座して室咲きを眺めるなんて現実的では無いなぁ・・・
それでも、誰かが画期的な鑑賞をしてくれるって事もあるかもしれない(笑)




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枯葎口閉じたまま走り抜け    山走子
かれむぐらくちとじたままはしりぬけ

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そういえば、俳句ポストで早く人になりたいとか言ってたけど。
「人」どころか「並」にも選ばれず、闇に葬られてしまった。

確かに枯葎なんて季語はこの時初めて知った言葉で。
無理があると言えばあるわけで(笑)
色々イメージしてみるけど、しゃれた言葉にはならなかった。

入選した俳句を見ていると、やっぱり子供の頃の記憶とリンクしているようなものが多いのかな。
考えてみれば大人になってしまうと車で移動することが多かったり。
そもそも、外に意味もなく滞在するような事が無くなるしね。

[俳句解説]
自分の中で枯葎というと、ちょっと恐いというか、あまり良いイメージは無い。
多分、ああいうのが枯葎の景色だろうなと思った時、なんか息を止めて走り抜けているイメージが出てきた。














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