こんな写真×詠んでみた

2013年7月突如出会った新しい芸術表現。 写真と俳句をコラボさせた 「フォト×俳句」 どちらも全くゼロからのスタートです。 作品作成のプロセスや結果を徒然なるままに・・・

2014年10月

おろおろと先の先まで秋思かな
これは、先月フォトコンに出して選外になった作品。
写真は唐松岳の登山道でみた白樺?だと思う。
ちょうど、ガスっていて、なんとも幻想的な景色だった。
こういう写真って写すモニターで随分と雰囲気が違ってしまうのだけど。
そのためにMacBook Pro Retinaディスプレイモデルを買ったわけで(笑)
デジイチ買うよりこっちが先だよなとした判断は今でも正しいと思っている。

写真は最終的に紙にプリントしないとダメなんだと思う。
もっとも「フォト×俳句」の場合はせいぜい2Lサイズくらいだろうな。
これをポスターサイズにしたら俳句が浮いてしまうような(笑)

こう考えると、「フォト×俳句」って小さい娯楽なのか?
あまり、ドドーンって感じのものでは無い事は間違い無いな。

そりゃそうと、この句は。
今こうしてみると全くの観念句だな(笑)
何一つ具体的なものが存在してないや。
一ヶ月くらい置くと冷静に判断出来るって事か。

この写真になんか良い句を付けてあげたかったな・・・


[写真解説とデータ]
カメラ:RICOH GR
露出時間:1/500
絞り:3.4
F値:f/3.2
ISO:100
WB:自動
露出プログラム:プログラムオート
露出バイアス:±0
エフェクト:無し




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新調の服着て見張る案山子かな
とりあえず、フォトコンの締切(10/10)に間に合うように作品を揃えてポストに投函完了。
ネットで気軽にエントリー出来るものと違って紙に写真を印刷して郵便で送るという作業はなかなか大変だ。
こちらは、ともかく写真の出来映えが良さそうなのを見繕って俳句を付ける作業。
ところで、写真の善し悪しってのはどこにあるのやら?(苦笑)

何となくだけど、主題がはっきりしていないものはダメなんだろうなと思われる。
何となくシャッターを切りました。では無くて、これを撮りましたって絵が必要。
毎度、フォトコンにエントリーする作業をしながらデジイチ買おうかなと思いを巡らす。
結局、「フォト×俳句」にはデジイチ不要だよねと言い聞かせる。

次は13日の信毎の締切に間に合うように創作中。
なんと申しましょうか、作り置きなんて出来ないので、その時にあるものを出すしかない。
選手権の締切が20日だけど、順番で作っていくしかないので、今は選手権用の作品なんて一つも無い状態だ。
去年は締切のギリギリ数時間前に作った作品が優秀賞だったけど。
そんなに上手く行くとは思えない。

とにかく、俳句の肝要は即興性だと言う割にはウンウンと唸りながらの創作だ。
いつかは、サラッと作れる時がやってくるのだろうか・・・?

そうそう、今日ここに貼った作品は先月フォトコンに応募して落選になったもの。
案山子を出さずに案山子を詠むというところで良いかと思ったのだが。
今、こうしてみてみると、中七 「服着て」 って表現は流石にNGだろうなぁ・・・と(笑)


[写真解説とデータ]
カメラ:RICOH GR
露出時間:1/1000
絞り:3
F値:f/2.8
ISO:100
WB:自動
露出プログラム:プログラムオート
露出バイアス:±0
エフェクト:無し



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秋高し巨大ザウルス目覚めけり
10月10日のフォトコンの締切が迫っている。
そういえば、先月の作品をアップするのを忘れていた。
これが最終予選に残った作品。

橋の写真を撮るのが好きなので、もっと積極的に集めようかなとも思う。
これは隅田川を渡している永代橋。
ことに好きな橋のひとつ。
朝の風景はまるで恐竜の目覚めのよう。
って、ところで一句でした(笑)

先月もギリギリまで作品が出来なくて。
というか、どれを出すか決まらなくて、最後はえいや!って感じでこれを含めて三作品を出した。
ここのところフォトコンも選外が続いている。

今月もこれぞという作品が仕上がっていない。
毎月毎月、月初は産みの苦しみだな。


 [写真解説とデータ]
カメラ:RICOH GR
露出時間:1/1000
絞り:4
F値:f/4
ISO:100
WB:自動
露出プログラム:プログラムオート
露出バイアス:±0
エフェクト:無し



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旧姓を手繰り寄せるや秋の声
昨日10月2日の信濃毎日新聞朝刊に掲載されました。
3月以来2度目の優秀賞です。
選者は俳人の坊城俊樹先生。

嬉しい~
8月が佳作、9月はボツと二ヶ月間悔しい思いをしていました。
色々投稿場所はあるけど、信毎が文字通りホームであり主戦場。
ここで優秀賞を頂けるのは一番嬉しい。
しかも、その月の第一週で掲載されると一ヶ月がスッキリして次の行動がしやすい(笑)
今年はあと2回優秀賞のチャンスが残っている。
頑張るぞ!

坊城さんの句評はこちら ↓

02_R


坊城さんの句評。
このレトロのラジオは昭和のもの。
秋の深まるころ、人はみな過去の思い出に浸る。
ラジオからリクエストした旧姓が流れているのかも。
古き佳き記憶がよみがえってくる。

まさに、ビンゴ!です。
見てたんですか?坊城さん・・・・と言いたくなる。

この俳句は、何回か推敲して整えたもの。
参考までにその変遷を書いて起きましょう(笑)

①懐かしき名前飛び出す秋の声
       ↓
②旧姓を辿りながらや秋の声
       ↓
③旧姓を手繰る隙間や秋の声
       ↓
④旧姓を手繰り寄せるや秋の声

スタートは車に運転中にラジオから高校の時の友人らしき人のリクエストメールが読まれた。
って、ところからこの句は始まった。

この作品は自分で言うのもなんですが、写真と俳句の距離は良いと思う。
俳句が少々観念的な十七音になっているところを写真でブツをどんと置く。
俳句のパターンは湘子先生の「型・その二」
中七を「や」で切って下五に名詞の季語を置く。
この「型・二」は自分的には一番好きな型。

ともかく、全ボツだった暗黒に9月を脱していよいよ10月なのである。
いよいよ選手権の締切は迫ってきており追い込まれている。
この作品も選手権の方に出しておけば良かったか?などと思ったりして(笑)



 [写真解説とデータ]
カメラ:RICOH GR
露出時間:1/40
絞り:3
F値:f/2.8
ISO:400
WB:自動
露出プログラム:プログラムオート
露出バイアス:±0
エフェクト:無し






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不知火や咥え煙草の運転手
俳句ポスト 第83回兼題 不知火 で、「人」に選んで頂きました。
これで4週連続の「人」確保。嬉しい。

そもそも「不知火」という季語。
実態があるのか無いのか、少なくとも自分は見た事は無い。 
こうなると頭の中で作る妄想俳句ですね。
で、そんな時に俳句らしくさせるには湘子先生の配合の句パターン1

角川学芸ブックス 新版 20週俳句入門
藤田 湘子
角川学芸出版
2010-04-21


型・その一
①上五に季語を置き、「や」で切る。
②下五を名詞止めにする
③中七は下五の名詞のことを言う。
④中七・下五はひとつながりのフレーズである・
⑤中七・下五は、上五の季語とまったくかかわりない内容である (P102)


これは今まで何度も何度も見てきたテキスト。
とは言え、これを読んでいる時の自分のレベルに応じて毎度理解が変わっているような。
今回は特に⑤の掟(笑) 「・・・まったくかかわりない内容・・・」
そうでしたそうでした。
何度も読んでいるのに実作していると、ついつい忘れてしまう。
或いは季語に引っ張られてしまう。

今まで「並」になっていたのは、中途半端な配合の句が多かったような気がしてきた。
今回の季語「不知火」はそもそも解らないので、影響されにくかったのが良かったか?

自分の中のイメージとしては、長距離トラックの運ちゃんが煙草を咥えながら海沿いの峠を走っているという設定(笑)
出来ればその運チャンには白いタオルのはちまきをしていて欲しいかな。
で、窓を開けた遠景に浮かぶ不知火って絵なのでした。

実際に見た景色では無いので、特に言いたい事も伝えたい事も無いわけで(笑)
なんか、まだ上手く言語化出来ないのだけど、この辺りに俳句作りの神髄というかヒントがあるような気がしてならない。
自分の言いたい事を言いたければ俳句という型を選択するなと、先人の言葉。

では、何をしているのかと言う問いに、うまく答えているのが湘子先生の後継者の小川軽舟だ。



ずっと湘子様のテキストを読み続けていたので、弟子の小川軽舟の話はすっと入って来る。
この本の内容は全編腑に落ちる。
特に第6章を読んだときに自分中で一つに繋がった。

それでは俳句は読み手にどう働きかけるのか。俳句は読み手に何かを「思い出させる」という言い方が。私には一番しっくり来ます。(p63)

これって、私が常々考えていたことで、うまく表現してくれたものだと感心。
(どっから目線だ(笑))
そして、さらに続けます。

頭の中の抽斗にイメージが入っているとします。俳句は作者の抽斗のイメージをそのまま読者に届けられるものではありません。俳句とは読者の頭の中の抽斗を開ける鍵のようなものです。俳句は「伝える」のではなく、この鍵で抽斗を開けてもらうものなのです。(p64)

これだよ!これこれ!と思わず叫びそうになってしまった。
認知言語学からのアプローチやエリクソン催眠からのアプローチでも説明が着く。

去年の7月から「フォト×俳句」をはじめて、ようやく俳句に対する答えの一つが見つかった感じ。
俳句は「脳の鍵」なんですよ。
なので十七音で十分。
それ以上長くなってしまうと、逆に鍵として機能しなくなっちゃう。

今回の私の俳句に戻って説明すれば。
「不知火」「咥え煙草」「運転手」この三つが鍵の中身。
季語というのは、日本人にとってのマスターキーみたいなものと考える。
「咥え煙草」にしても「運転手」にしても、なにかしらの個人の体験の中には存在しているわけで。
それらの体験を呼び覚ます鍵が俳句。
とすると、俳句を作る俳人と呼ばれる人達は「鍵職人」だと言い切ってしまおう。

そして多分、この作句プロセスの背景に自身の感動や発見が入り込むようになると完成なのかも。

さらに・・・
「フォト×俳句」はここに写真が加わるってのがミソで。
さてさて、そこの構造はまだ上手く説明は出来ないんだな。
この句に付ける写真が全然手元にないので、最近の写真をとりあえず合わせておきましょう。


・・・・ここまで一気に書いて、随分とすっきりしたぞ(笑)




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