紅玉に顔歪めつつ夢途中
こうぎょくにかおゆがめつつゆめとちゅう

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俳句の教科書的作り方ってのは、感動をそのまま言葉にしろ。
写生句と言ってみたままありのままを感動とともに表現しなさい。
と、書かれていたかどうか忘れたけど、何となくそんな風に刷り込まれている。

今日読み終えた「坪内捻典の俳句の授業」では真逆を説いている。

坪内稔典の俳句の授業
坪内 稔典
黎明書房
1999-03


「感動を表現する。これは言葉としては大変に美しい。でもあまり感動しない者にとっては、自分の感動を表現しなさいと言われると大変に困る(p52)」

「近代は、人々がですね、感動しなければならない、感動しなければならないと考え、感動病にかかった妙な時代だったかもしれません。とりわけ学校の作文の時間などにこの感動病が蔓延し、子ども達は無理やりに感動することを強いられたように思います。無理やりに感動するとそれは苦痛です。だから子どもたちの多くが、作文を嫌いになったのではないでしょうか。作文と聞くだけで感動病におびえたのだと思います(p53)

と解説してこの後。
「俳句は感動から出発する表現ではありません」
ではどうするのかというところなんだけど。
→ 表現して感動を探す
この立場が俳句表現だそうで。

そして、「俳句は読者を共同作業者として成立する」という言葉を肯定し。
「だが、作者の主体性という個性ばかりを押し立てるのは窮屈である。個性は大事だが個性を超えて他者と共同する場や世界があってもよい。むしろ、そうした場があってこそ個性もいっそう大きな意味をもつのはないか。こういうところに今日の俳句の存在理由がありそうだ(p200)」

と論述している。
これは参考になるなぁ・・・
一つの見方として、確かにそう言われればそうだと思う。
本の中でもいくつかの例をひいて解説しているけど、優れた俳句って様々な読み方ができる。
作者はその素材を提供しているのに過ぎないのかも知れない。

まぁ、こういうのを読んだからといって自分の俳句が飛躍的に向上するわけでもないのだが(笑)


[俳句解説]
かつて、リンゴといえば紅玉が当たり前の時代があって。
甘酸っぱいというより、メチャメチャ酸っぱいのが特徴の果実。
久しぶりに紅玉をかじって、当時の事を思い出していた。
あれから随分と時間は経ったけど、何も変わっていないのかも知れない。

[写真解説とデータ]
カメラ:RICHO GRDⅣ
絞り:1.9
シャッター速度:1/90
WB:自動
露出補正:±0

[何故この写真とこの句を取り合わせたのか]
この写真のプラレール。
まさにこの列車が東京へと運んでくれるものだった。
田舎と都会を繋ぐ列車。
良いあんばいに車両がボケたで夢の表現には良いかと合わせた。





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