こんな写真×詠んでみた

2013年7月突如出会った新しい芸術表現。 写真と俳句をコラボさせた 「フォト×俳句」 どちらも全くゼロからのスタートです。 作品作成のプロセスや結果を徒然なるままに・・・

カテゴリ: 書評

街角の角を探して冬散歩     山走子
まちかどのかどをさがしてふゆさんぽ

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冬だろうが夏だろうが、散歩が好きであちこち散歩するのだが。
なんとなく、冬散歩って言葉が良いかと(笑)

こういう俳句が果たして成立するのか否かはともかくとして。
表記も結構迷うものだ。
「街角」が良いのか「町角」がよいのか・・・
前者が都会で後者は田舎?
ちなみに、この写真は東京なので「街角」と表記してみた。

藤田湘子に言わせれば、「表記も表現の一部」だという事で。

男の俳句、女の俳句
藤田 湘子
角川書店
1999-08


「・・・・、表現にもきめ細やかな配慮がなされている。「さびさび」は、漢字で書けば「寂び寂び」であろう、「つけもの」は漬け物、「かみて」は噛みてであるけれど、それらを全部ひらがな書きにした。「表記も表現の一部」と、これも私のいうところだが・・・・(p44)」

漢字で表すかひらがなにするのか、はたまたカタカナにするのか。
かなり意図をもっての表現って事になるのだろう。
「街角」と「町角」もやっぱり微妙に違うんだろうな。
国語事典ではとりあえず、どっちも同じ意味でしか説明されていないから。
作者の思い入れで使い分ければ良いのかな。

そうそう、藤田湘子のこのテキストもかなり参考になるわけで。
しきりにリズムを大事にしろとか、音読しろとか書かれている。
そしてNGは何かと言えば意味づけ。

「俳句に意味をこってり盛ろうとするから、縷々述べたくなる。俳句に意味は要らない。意味は消してリズムを大切にしている詠い方を志している人でないと、こうした俳句は出来ない。読んで楽しい。俳句はただそれだけで十分(p42)」

だそうで。
そうすると、今日の私の俳句はまぁまぁイケてるかな(笑)
もっとも類想の句が山ほどありそうではあるのだが・・・・







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正座して室咲き眺めお茶すする      山走子
せいざしてむろざきながめおちゃすする

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「室咲き」という兼題で作句中。
これもまた初めて聞いた言葉(笑)
与えられた兼題ってのはトレーニングにはなるな。

一日中、室咲き室咲き室咲き室咲き室咲き・・・・と、考えながら過ごしたりして。
五七五という言葉のフレームがあるので、はまる言葉がどこからともなく現れる。
まぁ、それが俳句表現として優れているのかそうでないのかは判らないけど(笑)

坪内稔典氏の俳句に
★春風に母死ぬ龍角散が散り★
というのがある。これに関して。



「この句は、手遅れの癌で亡くなった母に付き添った体験が元になっており、龍角散を愛用していたのは父だが、そんな事実は作品そのものにはかかわりがない。実際のところ、作者の私にも、母の死と龍角散をなぜ取り合わせたのかはわからない。ふと。その二つを取り合わせて一句ができあがったのだ(p89)」

と記述されている。
どこから現れた言葉かは自分でも判らないけど、とにかく五七五に当てはまったって事。
この本に書かれている内容というか、坪内さんがあちこちで書かれている事は興味深い。
というか勇気づけられる(笑)

正岡子規が、俳句が作者の感情に根ざした美の表現であるという観点に立って月並み俳句をばっさりと切り捨てて現在に至っている。
なので、言葉遊びとか、格言みたいな十七音はNGみたいな感じもある。

とはいえ、私は結構、言葉遊びも面白いし好きなんだよねぇ。
これに関して坪内氏は
「言葉遊びにおける言葉くらい、言葉が生き生きとしている状態はほかにはないのではないだろうか。そこではリズム、響き、意味の多義性など、言葉の持つ様々な要素が相互に関わり合ってうごめいている。(中略)言葉がたんに伝達の道具や知識としてではなく、生き物として呼吸しているのが言葉遊びの言葉だと思われる(p51)」

花鳥諷詠のサイズの大きな俳句を作りたいという思いと、ちょいと機知に富んだ言葉遊びも面白くて良いなと常々思うのであった。

[俳句解説]
ほとんど意味をなしていないのだが、なんとなく「室咲き」を考えてたら繋がった一句。
しかし、正座して室咲きを眺めるなんて現実的では無いなぁ・・・
それでも、誰かが画期的な鑑賞をしてくれるって事もあるかもしれない(笑)




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冬晴れや筋肉痛で散歩する    山走子
ふゆばれやきんにくつうでさんぽする

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アイディアが枯渇するというか・・・・
で?と言われる俳句みたいな17音

藤田湘子のトレーニングパターン1で作ろうと色々探すのだが。

角川学芸ブックス 新版 20週俳句入門
藤田 湘子
角川学芸出版
2010-04-21


「季語+や」「中七」「名詞の下五」
これを作ろうとすると、下五に入る名詞がまず出てこない。
「フォト×俳句」なので手持ちの写真との関連って事もあるのだが・・

だからこそトレーニングって事なんだろうな。
かなり低レベルだと自分で思うわけだが、まず5文字の名詞探しみたいな(笑)
自身の感動を表現するとかなんとか以前の問題ね。

そうは言っても、やっぱり俳句と言うからには美を追究する必要もあるようで。
「筋肉痛」なんて言葉は、そこからは遠いんだろうな。
身体が疲れてくると頭も回らないって事かな。

スランプに陥るほど経験を積んでいるわけでも無し(笑)






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つまみには霜柱より貝柱      山走子
つまみにはしもばしらよりかいばしら

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毎週水曜日は俳句ポストの締め切り日
で、今週のお題は「霜柱」
何句か作って投句してみる。
ってか、今週は何とか「人」になりたい一心で波状攻撃。
一人で何句投稿しても良いとの事で今回は5句投稿。

なんか、途中からいくらでも五七五のフレーズが出てくる。
「霜柱」って季語指定なので逆にやりやすい。
が・・・

これって俳句か?
的なものが続々と続く。
つまみには霜柱より貝柱
って、バカにしてんのか?みたいな(笑)

そもそも、俳句と俳句以外の五七五の文章との線引きはどこにあるんだろ?



この小林さんって人は句会が大好きな人のようで。
この人によると俳句の定義は。
「僕の考える俳句の最低必要条件は、仲間と句会を開いたとき、句会の出席者に俳句と認められるもの、です」
とあり、続けて
「自分の書いたものが俳句であるかどうかは、自分で決めることはできません。エライ人だって決めることはできません。決められるのは仲間だけなのです。」
と言い切っている。これはこれで見識だ。

彼の論の前提には俳句は座の文芸である。ってのがある。
例えばこうしれブログでゴチャゴチャ言ってるなんて亜流であり本流は句会で互選されること。
あるいは逆選でも良いのかも?(笑)
その場のコミュニケーション手段として役割を果たしているか否かってことらしい。

さてさて、そうなると、いよいよ句会進出を考えなければな。
そういえば、先日、素人だけで「句会」のようなものをやった。
メチャメチャ面白かった。

宗匠などいない句会をこの本でも薦めている。
俳句の勉強会ではなくて、あくまでも句会。
だとしたら、自分が主宰ってのも十分有りだなと思う今日この頃(笑)

[俳句解説]
霜柱霜柱霜柱と悶々としていたら、ふっと浮かんだフレーズ。
実は貝柱もそれほど好きってわけでは無い。
さすがに、こんなふざけたような句は投稿できず。
ここに発表(笑)

[写真解説とデータ]
俳句ポストは「フォト×俳句」ではないんで、写真はつけてない。
本当はだるまストーブなんて仰々しいものでなく普通の石油ストーブの写真が良いのだが。
手元に無かったので。
しかし、どんな写真を自分が必要になるか、自分でも判らないものだ(笑)
とにかく撮りだめしておかなければ。

カメラ:RICOH GRDⅣ
絞り:1.9
シャッター速度:1/30
WB:自動
画像設定:ノーマル
露出補正:-0.1







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冬うらら吾輩君の庭散歩      山走子
ふゆうららわがはいくんのにわさんぽ

R0015269.JPG

「フォト×俳句」で一番のキモになってくる写真と俳句の響き合い。
何度も何度もここを考える。
先日も中谷先生の説明を聴く機会を得たわけだが。
まずは、俳句は俳句として写真は写真として独立している必要がある。
写真を隠したときに、横に書かれている俳句だけで意味が通ずるのか。
それが通じないとしたら響き合いにはならない。

ところで、俳句として独立している、写真だけで独立している。
ってのは、そもそもどういう状態なんでしょ。

今日アップしたこの作品はどうなんだろ?
ギリギリのところを狙って見たのだけど。

[俳句解説]
季語 冬うらら 時候 三冬
これは谷中での吟行句。
「吾輩君の庭」ってのは夏目漱石の「吾輩は猫である」の猫の縄張りを散歩したという意味。
散歩しているのは作者である自分という設定。
花鳥諷詠を詠む俳句にはなっていない。

これは、写真に「猫の作り物」と「谷中へようこそ」という幟を意図的に入れた。
とすると・・・この句は写真が無いと成り立たないと考える事も出来る。
そもそも、「吾輩君」ってなんだ?と言われればそれまで(笑)

では、この句で何を表現しているのか。って事になるけど。
「吾輩は猫である」で有名な谷中に遊びにきて楽しかったよ。って事。

そうすると、「フォト×俳句」でなくて「フォト俳句」かな。
現段階では個人的にはこれでも結構気に入っている作品ではあるのだが。

こういうのを作ってくると、またまた「俳句って何?」という疑問がふつふつと沸き上がるわけで。
とりあえず季語は入ってるし、17音の定型だし。
問題は・・・俳句として立っているかどうか。だ。
どうなんだろう?

やっぱり、こういうのって師匠がいないと分かんないな。
虚子先生も、とにかく一人の師匠につきなさいと書いている。

虚子俳句問答〈上〉理論編
高浜 虚子
角川書店
2001-08


この本は昭和11年から昭和18年にかけて、虚子の娘星野立子が主宰する俳誌「玉藻」に連載されていた虚子先生への質問とその答えを載せたものを集めた本。

面白いのは80年くらい前の人のもつ俳句に関する疑問と、今の私がもっている質問が全く同じであるということ。
そんなに変わらないのに妙に安心(笑)

そして、それらの問いに一刀両断に答える虚子先生が魅力的に映る。
自分の句の良否を判断する。という項目では
「・・・・その当座はその句が表している以上の感情がつき纏うて、つまらぬ句も面白いと考えているような場合もあります・・・・(P51)」
今の自分の俳句はこれの連続なのかな。

なんとか、花鳥諷詠の名句を創りたいものだと考えている自分に入ってくる虚子先生の言葉。

「・・・名句を得ようと努力しても、必ずしも名句が得られるものではありません。その名句を得ようとする苦心が重なり重なって、何時の間にやら天から授かるように、ふと名句が出来ているというのが結局の境地でありましょう(P60)」

早く天から授かりますように(笑)






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