こんな写真×詠んでみた

2013年7月突如出会った新しい芸術表現。 写真と俳句をコラボさせた 「フォト×俳句」 どちらも全くゼロからのスタートです。 作品作成のプロセスや結果を徒然なるままに・・・

カテゴリ: 書評

指先を絡ませ語る秋深し    山走子
ゆびさきをからませかたるあきふかし

R0014966.JPG

写生俳句で花鳥諷詠を詠みたいと思いつつ・・・
一旦出来上がったものを、色々こねくり回しているうちにおかしな方向に(笑)
まぁ、素人が趣味でやっているものだから、それほどクオリティを求めちゃいけないな。
適度に遊んでいた方が長持ちするような気もするし。

何はともあれ「フォト×俳句」のお陰で近所を散歩するようになった。
今まではとにかく車で移動するだけだったけど。
車で移動してしまうと写真が撮れないという当たり前の事実に出会った。
仕方ないから車を止めて辺りを散策。
もともと走る事は好きだし、散歩はもっと好き。

俳句に対する姿勢のようなものを考えさせられる良書としてこの一冊



これは飯田龍太が自身の主宰する句会「雲母」での講評というか感想というかをまとめたもの。
俳句教室に通っていない自分にとっては仮想俳句教室状態を味わえる。
常連というか同人というのか、普段から親しい関係にあるらしい人達を交えての講義録って感じ。
書き出しで死刑囚とのやりとりが出てきて、かなりびっくりというか。
読んでいて思わず涙してしまった。

龍太の俳句に対する姿勢が現れている
「かつまた私は、俳句はこん日ただ今の自分のこころ姿を正直に表現することを第一義とする。それが後生に遺るか遺らないかは、二義以下のことと考えているのです。(p12)

なるほど・・・・
自分の場合はむしろこの逆だったりして(笑)
自分が死んでも後生に遺るような作品を一つで良いから作りたいと思ってる。
この違いは大きいな。

さらに
「立派な句を作ろうと思うか、有名な句を作ろうと思うか、その二つの違いといってもいい。どんなに技量があっても、また技量があればあるほど、有名な句を作ろうという姿勢がある場合は、月並みの濃度が濃くなる(p134)」

ひえ~ ごめんなさいとしか言いようが無いぞ。
どうも自分の俳句が月並みだと思えばこの心構えがそもそも違うようだ。

月並みを超えて妄想俳句になっていくのも、心構えの違いって事で。
心を入れ替え精進せねば。

[俳句解説]
季語 秋深し 時候 三秋
晩秋のベンチ。
このベンチに座るのは誰なのか・・・
多分、一人でここに座るって設定はないよな。
色々考えていると、渡辺淳一テイストの物語が頭によぎった。

もう少し、綺麗な感じだと、宮本輝とか(笑)

[写真解説とデータ]
実はベンチ写真は私のテーマというか好きな対象物でありまして。
鉄道マニアが撮り鉄と言われ鉄道関係の写真を撮りまくるように。
私はあちこちのベンチを撮してみたいと思っています。
なので、そのコレクションのうちの一つ。

カメラ:RICOH GRDⅣ
絞り:3.5
シャッター速度:1/350
WB:自動
画像設定:ノーマル
露出補正:-0.3


[何故この写真と俳句を合わせたのか?]
晩秋で落葉で人気の無い公園のベンチ
妄想です(笑)













たい焼きを両手にのせて初時雨    山走子
たいやきをりょうてにのせてはつしぐれ

R0014931

毎週水曜日は俳句ポストの投稿締め切り。
今週の兼題は「初時雨」で冬の季語だ。
俳句ポストの良い所は、兼題が提示されるので、それについて考えることが出来る。
なかば強制的に考えざるをえない。
俳句歴の浅い自分にとっては格好の練習材料なので果敢に挑戦している。

しかも、この俳句ポストの面白いところは、「天」「地」「人」「並」・・・
と、序列をつけてくれるところ(笑)
今、自分は「並」なのでなんとかして人になろうとしているところ。
サイトでは人になれない人以下をベムベラベロと興じている。


そしてここでは一週間通じて俳句を楽しめる工夫がなされている。
月・火は俳句道場などを通して「並」にさえ入れない句を紹介していたり。
その中で、季語に関しては講談社の新日本大歳時記を底本としている。とあった。
こりゃ、人になるためにはこれを求めるほかないな。と思った。
のだが・・・これって16,000円もする (゜o゜;



さてさて、どうしたものかと考えていたら、なんとラッキーな事にヤフオクにこの本が出品されていた。しかも新品未使用。
俳句の神様は私に味方しているようで。
無事にメチャメチャ格安で落札することが出来た。
こんなラッキーな事ってそうそう無いような気がするのだが。

実は大型の歳時記に関しては、フォト×俳句を始めて早々にこちらを入手している。

日本の歳時記
宇多 喜代子
小学館
2012-01-25


これで大型本と言われる歳時記が二冊揃った。
さらに・・・俳句ポストで「鵯」とか「百舌鳥」なんていう鳥系の兼題を出された事もあって。
時候系の季語はなんとかイケるのだが、鳥とか動物とか虫は苦手でっていうか分かんないので、それらに特化したこんな歳時記もついでに購入。

鳥獣虫魚歳時記 春・夏の巻
川崎 展宏
朝日新聞社
2000-11




もう、これらに至っては写真集というか図鑑みたいな感じで。
歳時記を超えたところで読んでいて非常にためになるというか面白い。
眺めているだけで豊かな気分を味わえる。

いったいこの調子でどんだけ歳時記が増えていくのだろう・・・・

ちなみに、普段使いはこちら。

合本俳句歳時記 第四版
一般書
角川学芸出版
2008-06-28


これ ↑ に、いたっては、紙のもの、AndroidアプリiPadアプリと3個も揃えた。
まぁ、歳時記をいくら増殖させたころで俳句が上達するわけでも無いだろうけど。
とりあえず、俳句環境に集中するってところでどうでしょ?


[俳句解説]
今週の俳句ポストの兼題が「初時雨」。
色々考えて投稿したのだけど、これは余ったものの一つ(笑)
初時雨の寒さや冷たさとたい焼きの暖かさを対比させようかと考えた。

「両手に挟む」なのか「両手にのせる」なのか。
寒くて手がかじかんだときに、たい焼きで手を温める様を表現したかった。
お参りするときに手を合わせるけど、その中にたい焼きが入っている状態。

・・・もっと良い表現があるのかな?

[写真解説とデータ]
俳句ポストはフォト×俳句でないので写真は不要。
たまたま今日、雨が降ってきたので駐車場が雨で濡れた状態を撮してみた。

カメラ:RICOH GRDⅣ
絞り:3.2
シャッター速度:1/250
WB:自動
画像設定:ノーマル
露出補正:-0.7



[何故この句と写真を取り合わせたのか]
さすがに、たい焼きの写真は付きすぎなので却下。
なんとなく初時雨の寒さとか冷たさを表現するために濡れた砂利を合わせた。




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紅玉に顔歪めつつ夢途中
こうぎょくにかおゆがめつつゆめとちゅう

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俳句の教科書的作り方ってのは、感動をそのまま言葉にしろ。
写生句と言ってみたままありのままを感動とともに表現しなさい。
と、書かれていたかどうか忘れたけど、何となくそんな風に刷り込まれている。

今日読み終えた「坪内捻典の俳句の授業」では真逆を説いている。

坪内稔典の俳句の授業
坪内 稔典
黎明書房
1999-03


「感動を表現する。これは言葉としては大変に美しい。でもあまり感動しない者にとっては、自分の感動を表現しなさいと言われると大変に困る(p52)」

「近代は、人々がですね、感動しなければならない、感動しなければならないと考え、感動病にかかった妙な時代だったかもしれません。とりわけ学校の作文の時間などにこの感動病が蔓延し、子ども達は無理やりに感動することを強いられたように思います。無理やりに感動するとそれは苦痛です。だから子どもたちの多くが、作文を嫌いになったのではないでしょうか。作文と聞くだけで感動病におびえたのだと思います(p53)

と解説してこの後。
「俳句は感動から出発する表現ではありません」
ではどうするのかというところなんだけど。
→ 表現して感動を探す
この立場が俳句表現だそうで。

そして、「俳句は読者を共同作業者として成立する」という言葉を肯定し。
「だが、作者の主体性という個性ばかりを押し立てるのは窮屈である。個性は大事だが個性を超えて他者と共同する場や世界があってもよい。むしろ、そうした場があってこそ個性もいっそう大きな意味をもつのはないか。こういうところに今日の俳句の存在理由がありそうだ(p200)」

と論述している。
これは参考になるなぁ・・・
一つの見方として、確かにそう言われればそうだと思う。
本の中でもいくつかの例をひいて解説しているけど、優れた俳句って様々な読み方ができる。
作者はその素材を提供しているのに過ぎないのかも知れない。

まぁ、こういうのを読んだからといって自分の俳句が飛躍的に向上するわけでもないのだが(笑)


[俳句解説]
かつて、リンゴといえば紅玉が当たり前の時代があって。
甘酸っぱいというより、メチャメチャ酸っぱいのが特徴の果実。
久しぶりに紅玉をかじって、当時の事を思い出していた。
あれから随分と時間は経ったけど、何も変わっていないのかも知れない。

[写真解説とデータ]
カメラ:RICHO GRDⅣ
絞り:1.9
シャッター速度:1/90
WB:自動
露出補正:±0

[何故この写真とこの句を取り合わせたのか]
この写真のプラレール。
まさにこの列車が東京へと運んでくれるものだった。
田舎と都会を繋ぐ列車。
良いあんばいに車両がボケたで夢の表現には良いかと合わせた。





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秋深し裏も表も狂おしく
あきふかしうらもおもてもくるおしく

R0014481

俳句の勉強をするには、やっぱりどこかのグループに入った方がよいのかな?
などとずっと思っているわけだけど。
今日、知り合いにその話をしたら、止めた方が良いと言われた (^^ゞ

なんでも、かつて俳句のグループにいて句会などにも出ていたそうな。
ところが、句会で自分の作った俳句に関して色々言われたそうな。
だいたい初心者なので褒められるような俳句が出来るわけもなく。
かなり辛辣に批判というか批評されたみたいで。
それが嫌で俳句を作ること自体を止めたとか。

褒められて育つタイプの人は、句会とか止めた方がよいよ。って(笑)
確かに自分は典型的な褒められて育つタイプだからなぁ。
そう言えば、森村誠一の写真俳句のすすめにも同じような事が書かれていた。



この本の8ページ以降に写真俳句上達の秘訣として5項目書かれている。
1 句会には出席しない
2 他人の句を批評してはならない
3 名句をたくさん読む
4 「歳時記」に親しむ
5 俳句は足でつくる

と言うわけで、句会には出席しないでおこう(笑)
まぁ、俳句作り始めてしばらくは、批判されようが何しようが、それが当たり前のような気もするから恐いものなしと言えば恐いもの無しではあるけどね。
これが3年くらい経ってからだと、批判されたりしたら、あっさり切れるな(爆)
そもそも、主観にしか過ぎないわけだからなぁ。

[俳句解説]
この木がなんの木かわ不明なんだけど。
視界が開けた場所に圧倒的な存在感で目に飛び込んできました。
この木を題材に何句が詠んでみたのですが。
なかなか、思うようにいかず。
美しいというより、不気味とか妖艶とか畏敬とかそんな感じ。
血を流して立っているようでもあり、乗っ取られているような景でもあり。
まぁ、あんまりポジティブな感覚では無かったかな。

[写真データ]
カメラ:RICOH GRDⅣ
絞り:2.3
シャッター速度:1/2000
WB:シェード
画像設定:ノーマル
露出補正:-1






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新蕎麦やあなた任せの抹茶塩
しんそばやあなたまかせのまっちゃじお

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俳句の入門書を片っ端から買い求めて読んでみたけど。
やっぱり評判通り、これが一番かな。

角川学芸ブックス 新版 20週俳句入門
藤田 湘子
角川学芸出版
2010-04-21



初心者は「型」をきっちりと抑えろと説く。
最初に身につけるのは次のパターン。
①季語+や
②③の説明
③五文字の名詞

その例題として、森澄雄の句
①名月や
②男がつくる
③手打ちそば
確かにこれで五七五が完成!

そして、「多作多捨」を説く。
『俳句は一千句ぐらい作ると、どうやら身についた感じになる。早く一千句作ることです(P116)』

『・・・多作の本来の目的は、俳句形式とよくなじむというこにある。あるいはトレーニングと思えばいい。そうしているうちに、ある日突如として、「これはイケる」という直感が閃くことがある・・・(P117)』

最初から、人を感動させようとか、質を良くしようなんて考えずに、ただただ基本を抑えて数を作れと。
そのうち閾値を超える瞬間がやってくるんだよね。
何事も全て同じだと経験的に思う。
これがまさに、「量が質を凌駕する」ってこと。

そしてこれが「守破離」の「守」って事でもある。
と、私は理解している。

そうは言ってもなぁ・・・
だんだん自分で作りながら訳解らなくなってきたぞ。
決してふざけているわけでは無いのだが。

一応季語は入っているものの、どんどん川柳よりになっていく。
ホントは花鳥諷詠を詠み込んだスケールの大きなものを作りたいのだが。
どうしても、言葉が出てこないや。

[俳句説明]
近所の蕎麦屋でランチを頼むと天ぷらがセットメニューで出てくる。
で、天つゆじゃなくて抹茶塩なんだけど、この写真がその入れ物。
妙に愛らしいのでマクロで撮してみた。
決してふざけている訳じゃ無いってことを強調しておきたい (^_^;)




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